写真家は東北で何を見たのか?から二年

写真家は東北で何を見たのか?から二年 @vacant に行ってきました。

田附氏は肘折温泉に行った時にトークをされてて、そのチャーミングな人柄と「東北」の写真たちにすっかり魅了されたのでした。なので詳しい事は知らずに行ってみると、どうやら今回は高橋宗正氏の上梓した本『津波、写真、それから –LOST&FOUND PROJECT』がメインテーマの様子(説明読んでから行けや)。大森氏が場を仕切り、大森氏と田附氏が高橋氏に質問をしたり、つっこみを入れたりという形で場が進みました。

3人とも写真家=クリエイティブを仕事にしていて、3.11ではほとんど被災をしておらず(大森氏はいくらか生活に変化があったようですが)、東北出身でもない。そんな3人が震災後東北をテーマに写真を撮るということの逡巡や葛藤をざっくばらんに語っていて、とても興味深かったです。

私が思うに語られてた問題はざっくり2つあって、クリエイティブ=役に立たないこと をやってていいのかという問題、そして当事者性の問題です。

3人の中で一番若い高橋氏のアプローチは徹底していて、それは「正しいことをする」という言葉で語られます。彼が被災地にいてやったことというのは、津波で流れた写真を洗浄して、写真に収めて、デジタルアーカイブ化するという作業の現場監督でした。そこに求められるのはクリエイティビティではなく、作業の正確性や技術力で、高橋氏はそれを淡々とこなします。大森氏も田附氏もテーマを持って東北に入っておっかけて、それぞれ自分の名前で作品集にしたり展示をしたりするのと対照的に、高橋氏は極力自分の名前を出さないようにしていたようです。この「正しい事がしたい」って、すごくよくわかるなあと思いました。

あの当時のクリエイティブの無力感とか風当たりの強さってもう忘れかけてるけど結構強かった気がします。いろいろなことが不安定で、センシティブに思えて、「役に立たない事をする」っていけないことのような感じがすごくあった。嫌な言い方ですけど、そういう時に「余計な事して怒られたくない」という気持ちが自分の中では強かったです。

そんな私からすると、大森氏が東北に咲く桜をテーマに写真を撮って自分のものにしてしまうというのは、なんかすげえな、「乗っかってる」って思われたらどうしようみたいな怖れはないのかな、とちょっと懐疑的な気持ちで見てしまっていたのですが、だんだんと、作品にすることこそが写真家にできることだし、するしかないことなのだという挟持を持ってやっているのだと気づかされました。

多分私と世代も近い高橋氏は、世の中のぴりぴりした空気をセンシティブに感じてしまったのではないでしょうか。その逡巡や乱暴な言い方ですが「びびり」こそが、先輩諸氏からダメ出しを食らっていた「正しさ」で自己防衛をする弱さが露呈されていることこそが、もしかするとこの本の貴重な価値なのかもしれない、とおもいました。