John Goto / Loss of Face

帰省した実家で久々に昔の展示のカタログを見つけました。

Tate BritainでやっていたLoss of Faceという展示のもので、プロテスタントになったイギリス各地で行われた宗教画の破壊、その痕跡を収めた写真群です。

(カタログより抜粋)——————-

16世紀に起こったプロテスタントによる宗教改革はイギリスの文化にとって決定的な出来事であった。この期間、アイコノクラスト(偶像破壊主義者)たちは教会や修道院を襲い、絵画や彫刻などを破壊した。新しいプロテスタントの教会は、このような偶像が、神の言葉に直接触れることで得られる宗教体験の妨げになると主張した。改革はイギリスの美術に劇的な破滅をもたらし、今日でもイギリスの文化の中心を文学が担っているのはこの出来事に端を発するものだ、というのが多くの人の意見だ。

(宗教画は)目はえぐられ、顔は切り刻まれ、口には時に栓がされている。

——————-(抜粋ココマデ)

宗教と偶像というのは、バーミヤンや日本の明治期の仏像破壊の例もありますが、普遍的な問題なのですね。

ここで私が思い出すのは、昔受けた授業で先生が言っていた「バーミヤンの仏像の破壊者は、仏像の破壊をすることで、その価値を認めてしまっている」という言葉です。

この宗教画破壊でも、「目」や「口」といった部分が重点的に傷つけられているのは非常に興味深いことです。それはまるで、偶像破壊主義者たちが宗教画の持つ霊的な力を本気で恐れていたかのように見えます。

かの空也上人立像は唱えた念仏が阿弥陀仏の形をとるという、ある種偶像崇拝の極みのような発想の賜物です。

それと対局の思想の証であるはずの破壊行為が、「口から出るありがたい言葉を物的に塞ぐ」という「形をとる」ことで、図らずも、空也上人立像に酷似してはいまいかー

そんなことをおもうと、残酷で悲しい歴史の傷跡も、なにかクリエイティブな行為に見えてくるのでした。