Herbert & Dorothy Vogel

ハーブ & ドロシー 二人からの贈り物」を観てきました。第一作目は見逃していて、大丈夫かなと思っていたのですが疎外感なく最後まで観れました。
過去50年の間、公務員として共働きしてきたハーバート&ドロシー・ヴォーゲル夫妻はその(おそらくそう多くはないであろう)収入の1人分で生活を成立たせ、残りでアートを買うという暮らしをしてきました。ニューヨークの小さなアパートには所狭しとアート作品が並べられ、その隙間を人と猫が行き来しています。

その二人が自分達の生涯をかけて収集したアート作品を、アメリカ50州の美術館に50点ずつ寄贈するプロジェクトを追ったのが今回のテーマ。自分達がかつて所蔵していた作品を観に訪れる二人を追ってカメラもアメリカ中を駆け回ります。

寡聞ながら私の知らないアーティストが殆どだったのですが、彼らが買う絵はミニマルであったりコンセプチュアルなものが多く、一般的な価値(要は絵がうまいってことですね)が見いだしづらいものばかりです。そこでの選択基準はどうやら、自身もアーティストであったハーブの「直感」に拠る物のよう。彼らがサポートしたアーティストの中には、彼らによって世間の認知を得た人もいて、プロのキュレーターでもない人が自分の(しつこいですがそう多くない)財産を賭けてアーティストを支えるってすごいことです。人が「アート」を買う動機って、「好きだから」もあるけれど、投機の為だったり有名な絵を手にすることで自分の文化度が上がったように思い込むためだったりなんじゃないかと思うと(バブル期の日本企業ってそんなでしたよね)、この純粋さはすごいなと思います。

アートってそもそもなんだう? 2人の知見と好奇心はアートに対する「べき論」を軽々と越えて、楽しそうに私たちを招いてくれている、そんな感じがしました。コンセプチュアルな作品に触れる来場者の反応もカメラは写し取っていきますが、子供も大人も一様にその場にいることを楽しんでいるようでした。

そしてこのお話は「人生をどう終えるか」についてでもあるように思いました。2人が自分たちが今後20年でも30年でも今までのような暮らしができると考えていたら、恐らく自分の子供にも等しいような作品を手放すという決断には至らなかったと思うのです。2人が見据えていたもの、それは遠くない未来にある自分達の死で、それを前提にした時に考えたベストの選択が作品の譲渡だったと考えると、それは想像を越える大変な決断です。

己の死を受け入れて、その上で人のことを思う、自分にそんなことが果たしてできるのだろうか?と思わず考えてしまったり。

寄贈した作品を各地の美術館に訪ねる旅の途中で学芸員に「又会えるかしら?」と尋ねられたハーブは「さあね?」といった感じで肩をすくめ、それをとりなすようにドロシーは「私たちは希望を持っているわ」と答えていました。

“We are optimistic.”

なんて説得力のある、美しい言葉なんだろうとおもったのでした。