The Kröller-Müller Museum

 

ベルギーとオランダに旅行に行ってきました。来日前の「真珠の耳飾りの少女」も運良く見れて、ちょっと得した気分。マウリッツハイス美術館アムステルダム国立美術館、その隣のヴァンゴッホ美術館といろいろ見れました。特におもしろかったのがこのThe Kröller-Müller Museum
KröllerさんとMüllerさんという実業家夫妻がアムステルダム郊外の自分の領地の森に、芸術振興の為に作ったものを国が買い取ったそう。当初のオーナーの遺志を継いで、新たなアーティストの育成にも力を入れているとのこと。(ガイドさんの話)ここの目玉は鬱蒼と茂る森と広大な庭に配された立体作品群、そしてゴッホやピカソの作品です。ガイドさんは有名どころの案内だけしてあとは自由行動になったのですが、近現代の作家の作品と、骨董品のような12-13世紀の作品が隣同士に配されている展示に驚きました。こちらは中国の馬と、Dan Flavinのアート作品。馬は詳しい説明はなかったのですが、アイウェイウェイの作品とかではなく、ガチの骨董品の様子。なかなかこんな組み合わせ見れません。<class=”mt-enclosure mt-enclosure-image” style=”display: inline;”>そしてGilbert and Georgeの若き日の連作。この向いにゴッホの糸杉が飾られるというラディカルな配置。
他にもBruce NaumanやJan Fabreなど、近現代の巨匠がごろごろ。展示スペースの問題もあるかもしれませんが、これだけ色々な時代と文化の作品が一堂に会しているギャラリーは他に類を見ないのではないでしょうか。なかなかエキサイティングな体験でありました。
それで思ったのだけれど、日本の大多数のオーディエンスは、マネ・モネ・ゴッホあたりのモダニズム具象の作家しか、「アート」として認識していないのではないでしょうか。「真珠の耳飾りの少女」日本公開にあたってのプレスの量はびっくりするほどで、それに見合っただけの集客が見込めているのでしょう。(でもそれをモチーフにした森村泰昌氏の傑作をどれほどの人が認識しているのでしょうか)YBAや村上隆、BRICSのアーティスト達の作品や展示はまだまだマジョリティのオーディエンスは獲得できていない印象です。その障壁が現代アートが持つ「Being wired for the sake of it(by シンプソンズ)」という雰囲気が引き起こすアレルギー症状なのか、西欧文化を理想化して、それに収まらないものは無視、というメンタリティなのかは分かりませんが、なんだかもったいないことです。多分、自分も含めてだけど、多くの人は絵画の「ホンモノが1つしかない」(いわゆるアウラを持っている)というところに価値を置いているのでしょう。だからこそ「(ホンモノを目の前で)見た」ことそのものに意味を見いだすのではないかな。絵画作品は、印刷物やGoogle art Projectを使えば、多分激混みの美術館に足を運ぶよりもずっと良く見れます。スポーツの試合や音楽ライブなんかは、wowwowの方がよく見えるとしても、現地でしか感じられない興奮や感激があります。では「本物の」アートがお金と引き換えに提供できるものはなんなのだろう。結局それは、お伊勢参り的信仰心に近い行動なのかもしれない。一生に一度のチャンスかもしれないから、ありがたい御開帳を拝んでおこうという。でももし、「西欧文化」に対する、そして「一点もの」に対する信仰心が薄れたら、アート産業はどうなってしまうのだろう。現に若い人たちの間ではそういったものの価値が下がってきているのではないかな。ちなみに、ヴァンゴッホの作品を縁取る豪華な木のフレームは、日本に作品を貸し出したお金で作ったそうですよ。

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