木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン

写真美術館でやっている木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展にすべりこみで行ってきました(展示は2/7(日)まで)。
名前は聞いたことがある、という無知っぷりで行ったのですが、とてもよかったです。

写真がちょっともわってなるのはライカの特徴なのでしょうか。自分が知っている(と思っている)土地の50年前が切り出されたのを見ると、ちょっとどきっとします。知人の別の面を見たような。

私たちは時代性とメディアを頭のなかでごったにしているんだ、ということを感じました。
例えば、木村伊兵衛が撮った谷崎潤一郎の写真があったのですが、デジカメに収まる谷崎って全然想像がつかないです。村上春樹が「原稿用紙とペンでなければ谷崎の文章を書くのは困難だろう」と言っていたのを思い出したり。

カメラが現実を捉えきれないというのは、当時は思想的以前に技術的な問題としてあったと思う訳です。
でも技術が進歩して見たままに限りなく近い色と鮮明さでイメージを量産できるようになった今は、逆にスタイルとしてライカとかロモとかTiltShiftとかが流行ってますね。技術がどこまで進歩しても、やっぱりある視点がファインダーを通して切り取る以上、≠の関係性が変わることはないでしょうに。

未来から振り返ったときに、私たちの時代性を表象する視覚表現は何なのでしょうね。

ところで木村伊兵衛をIheeと書くとフレンチぽくてかっこいいですね。