Circle of Animals

Tate Modernでの展示は終わってしまっていましたが、アイウェイウェイの作品がロンドンの2カ所で展示中でした。両方行きたかったのだけど一つは迷ってギャラリーにたどりつけず。ふだんiPhoneのグーグルマップに頼っているつけがこんなところに出ました。いや、ちゃんと地図を確認して出発すればよかったんですけどね。

ということでたどりつけたほう、Somerset Houseでの展示。屋外の噴水の周りに十二支の頭部が配されています。見上げるとなかなかの迫力。

この作品の由来は、円明園という清の時代の宮廷の庭にあった十二支の像で、アヘン戦争時に宮廷がイギリス軍に破壊されてから(その後という話も)頭部が行方不明になっていたものが、発見されてオークションに掛けられたりしているようです(このへんwiki先生情報)。十二支の頭部は、中国の人にとって過去の栄光や屈辱の象徴のような存在で、それをコンプリートして取り返すのは悲願なのかもしれない。

一方で、インタビューに答えるアイウェイウェイの態度はかなりクール。「十二支の頭部のことを中国の宝だなんて思っていません。そもそもイタリア人によってデザインされ、フランス人によって造られたものですから」と言っています。しかも、廃墟となった宮廷の周りに住んでいた農民は、宮廷の瓦礫を持ち出して自分の家や家畜小屋の建築資材にしていたらしい。それを70年代の頃に見たというアイウェイウェイは、「なんて豪華な豚小屋なんだ!と驚きましたよ」と暴露しています。

オークションにデモが起きたりするほど中国の人が大切に思っているはずの十二支の頭部の価値とは、どれほどのものなのか、アイウェイウェイはかなり懐疑的に思っているようです。

アイウェイウェイの十二支は、ブロンズで造られ、毛の流れなども緻密に再現されていてオブジェクトとしても大変美しいものです。アルフレッド・ゲルのTechnology of enchantment, enchantment of technology(私たちは技術の「向こう」にある美ではなく、技術そのものに魅了されているのではないか)を借りれば、彼の有名な「高い壷を割る様子を写真に撮っただけ」の作品に対して「無価値」を突きつける人(は、結構多いのではないか)に対するこじゃれた挑戦状にもなっている気がします。まったくコンセプトは同じだけど今回はちょっとがんばってみたんだ、どう?的な。

ナショナリスト的な高揚感によって祭り上げられたオリジナルの十二支、そしてアートこうあるべし、といった既存の価値観に対して、アイウェイウェイ版の十二支は疑問を投げかけているのではないでしょうか。